岩村歴史資料館 の広い駐車場に到着。 資料館で少しお勉強。 資料館の辺りは、城主の 居館跡に表御門と太鼓櫓があります。 岩村城は、標高約717mの日本最高地に築かれた山城で、高取城・備中松山城とともに日本三大山城といわれる。
2010年の岩村城 ... もうこんなところまで攻めてきても枡形虎口あったらイヤですねえ・・・。 しかし、このへんの石垣の積み方はまた違った組み方ですね。 搦手口側. 岐阜県恵那市にある岩村城・岩村城跡に行ってきました。日本三大山城の一つでもあり、東洋のマチュピチュとの呼び声高い岩村城跡。なめてかかると散策はかなりキツイとの口コミ。実際に行ってきた感想も踏まえて、歩くのにかかった所要時間や見所など感想を交えてブログで紹介します。
どうやらここからが岩村城 ... そしてこの枡形 周辺部分には大手門、三重櫓まで建っていたとか。 今は林になっているからわかりにくいですが、三重櫓があった当時は天守閣ぐらい立派だったとか。 三重櫓跡周辺. じゃらんnetユーザー多摩次郎さんからの岩村城下町への口コミ。城下町らしい枡形の道がありました。 ここにもおつやさんとゆう女城主がいたらしく押してました。 老舗の酒蔵などもあって歩いてて楽しい … 岩村城下町・下木戸の枡形に祥雲寺(庚申堂)があります。 境内には高札場看板があって、その隣にタイトルの三基の石造仏が並んであります。 高札場と奥に三基の石仏 奥に見えるのが祥雲寺(庚申堂)、右側に三基の石仏 岩村城(いわむらじょう)は岐阜県 恵那市 岩村町にある中世の日本の城(山城跡)で、江戸時代には岩村藩の藩庁であった。 付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。 岐阜県指定史跡
次も左に折れ進んで次ぎの枡形の角で、昔道があった方向をを説明。 その角も左折になっているが、ここも枡形の角である。 . 岐阜県恵那市岩村(いわむら)町は、八百年余年の歴史を持つ三万石の城下町として発展。日本百名城のひとつ岩村城跡をはじめ、重要伝統的建造物群保存地区に選定された歴史の町並みや数多くの旧跡を有する、情緒あふれる史跡観光の町です。 「岩村城下町」の情報なら、ぎふの旅ガイドで。「受け継がれる女城主のやさしさ。長閑な風にふかれて「歴史の町並み」を歩く」です。岐阜県観光連盟がお届けする、岐阜観光の公式サイトです。 【所感】岩村城跡の本丸へ向かう方法として、岩村城歴史資料館・岩村山荘辺りから徒歩で 登るコースと、国道257号線から〔裏山信号から1.6キロ南下〕脇道を入り、本丸横の出 大井宿が何故枡形になったかの説明があった。通常、枡形は防衛のために設けられているが、この大井宿では、宿の西側に阿木川があり、この川がよく氾濫するので�
岩村城下町の中心に枡形地形がある祥雲寺(庚申堂)の三基石仏。 地元最古の石像物。 岩村名物「水半漬物販売店」の前の桝形にそういえば警察があった、当時商店街にはネオンサインがキラキラと灯って … 階段をあがり、枡形の中へ。三重櫓が建っていたぐらいなのでかなり広い枡形だ。 追手門 三重櫓 説明板。三重櫓は岩村城最大の櫓で天守相当だったそうだ。と思ってパンフを見てみると、確かに本丸には二重櫓しかない。 ちなみに搦手口側にも小さな枡形虎口。 これでもか!ですね・・・。 本丸の下には出丸.
さて、岩村城は別名を「霧ヶ城」といいます。 霧が発生することで有名なのですが、こんな伝説もあるのですね。 こちらも名水に選ばれているそうですが・・・ちょっと飲むのには勇気が入りますね・・・ 伝説も含めていろんな意味で・・・。 岩村城の正門(追手枡形の二ノ門)。城中最大の門。 【竜神の井】 岩村城最大の井戸で昭和60年に創築800年を記念して復元した。 【五郎作屋敷跡】 城内住込みの侍屋敷。五郎作とは誰のことなのか? 【霧ヶ井】 霧ヶ城と言われる元となった井戸。