小早川隆景・秀秋:筑前・筑後・肥前1郡37万1300石(名島城)、1587年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、備前岡山藩51万石に移封) ところで九州の語源となった九国は豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅の各国になるのですが、このうち豊前、筑前、筑後の三国が現在の福岡県の地域に当たります。 筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩が元になっていました。 (マウスを乗せると絵が変わる) これを見たら九つあることがわかりますね! 都に近い方が" 前" 遠い方が "後" です。筑前・筑後、豊前・豊後 などががあります。また、前後でなく上下に分割する場合もありました。国名につけられた「前・後」や「「上・下」の意味は、国名をつけるときに、 都と地方を結ぶ重要な街道(かいど
西海道の9か国の総称。筑前(ちくぜん)・筑後(ちくご)・肥前(ひぜん)・肥後(ひご)・豊前(ぶぜん)・豊後(ぶんご)・日向(ひゅうが)・大隅(おおすみ)・薩摩(さつま)。西海。鎮西(ちんぜい)。 中国、夏(か)王朝の始祖禹(う)が中国全土を九つの地域に分けたもの。 九州は1871年(明治4年)の廃藩置県まで「筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、薩摩、大隅」の九つの州=国=藩があったことから、現在は沖縄県を含めて8県しかありませんが昔ながらの呼び名で九州といいます。 龍造寺隆信:本拠は肥前。1581年蒲池氏を滅ぼしたが、隆信は1584年に沖田畷の戦いで戦死、肥前に後退した。 豊臣政権の領主. 初め筑前・筑後・豊前(ぶぜん)・豊後(ぶんご)・肥前・肥後・日向(ひゅうが)の7国と壱岐(いき)・対馬(つしま)の2島。天長元年(824)以後、薩摩(さつま)・大隅(おおすみ)を加えた9国2島となる。慶長14年(1609)に琉球も含む。 肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国と肥後国との分割があったと推定される。 『肥前国風土記』は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つ …